だめ社会人の放課後

余り日記を書く気も無くなってくる

なんか、まともに考えるほどに、余り日記を書く気も無くなってくる。
NPOってそんなに特別なんだろうか。簡単に出来るからって、気軽で許されるものなんだろうか。
とりあえず、理事に経営責任を求めるのは間違いらしい。何となく解った。A理事いわく、「一般的に責任があるとはなっているが、それは「法律上の建前」だから、本当に責任を取る羽目になれば、実際は誰だって逃げる。周りを見て、どこのNPOだってそうだ。本当に覚悟してやってる人なんて殆ど居ない。地域の名誉職くらいにしか思ってなくて、経営なんてとんでもない。だってボランティアなんだから。悪いけど、敷き詰めたら結局は事務方が犠牲になって責任取るしかないんだ。」と。
だぁかぁら、そんな程度を公言するなら尚更人を雇って責任取るなんて言ってはならないはずだ。ひとりひとりの思いだけでやるなら、ボランティアで十分だ。継続する理由もないし、組織などいらん。思い、思い、というなら、指示する側もそれだけのやる気と覚悟を示すべきだ。本当は自分自身やる気も責任感もないままに、事務局やボランティアスタッフに全て押し付けるだけでは、内外問わず信頼に関わるというのが解らないのだろうか。
一番の虚しさはそこだ。もしくは当人がやる気が無い事を、周りに「がんばれ」とか「非常に意義がある」とかどうこう言うのだから、それを知っている方からすれば、事務局だけじゃなくてボランティアスタッフも、誰も付いて来ないし支持もしない。やるにしても、動機付けも何もあったものじゃない。次第に「なんで理事個人の自己満足に振り回されるんだ?給料も貰えない上に責任まで押し付けられるんだ?」と考えたくもなる。周りはもっとちゃんと見てるんだと思ったほうがいい。


K谷さん辺りは解っている。経営責任を明確に出来なければ、これ以上は無理だ。判断権限が無いままに理事会から責任を押し付けられて一人犠牲になる構図に、終止符を打ちたい。理事からすれば、いまだ事務局やボランティアスタッフの存在は実験材料に近いものがあるかも知れないが。
6月から9月まで、あと3ヶ月の間で実質的な体制の建て直しを図る。まだ余裕があるうちであればこそ動かねばならない。NPOでは誰も考えたことが無いであろうシステム。しかし企業などからすれば当然の内容(爆)。
A理事は「NPOが収益上げて、経営しようとしたら、実際に周囲の圧力はすさまじいぞ。まだ持ち出しでやってたほうが良かったと後悔するぞ、覚悟しろよ。」とアドバイスしてくれたが、今後を考えれば、これしかないような気がする。
もし出来なければ、3ヶ月で先が見えなければ、その時は本当に全て撤収しよう。
なんで3ヶ月? そう、タイムリミットは8月末までだ。10月には父親になる予定なんだから(いぇ~い)

予算計画が狂ったので、約束した給料は払えないから、あとは自分で仕事作って何とかしてくれとか、とか。もうそんな気まぐれやシャレには付き合ってられないのです。
私個人はともかく、家庭は犠牲に出来ませんので。
これからの、もしかすると僅かな時間? NPO事務局日記ではなくて、NPO経営日記になります。

今夜、某飲み屋にて。※近いうちに動画配信?(爆)
A部」「…NPOというのは…。だからぁ、実を言うとぉ…、うわぁ~~~って!…そう!そういうわけです!」
石塚:「そんなに意義があって将来性があって間違いないと言うなら、A部理事が専従になったらいいんじゃないですか?」
A部:「いやいや…、ん~…。ま、ね。それは俺の運命じゃないから。俺は一介の本屋で、まぁ十分だから。」
K谷」「…人それぞれ、思いがあるほど、声高に主張するほどに自分で行動できれば、何も問題はないのよね。」
石塚:「ですね。本気でここのセンター長やりたいなら、いつでも来て下さいって感じですよ。」

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