だめ社会人の放課後

批判していた事を当人が踏襲する

 とある精力的な活動家が、学生やボランティア・関係者からの信用をほぼ失ってしまった。Iさんとも話をしたが、まぁ日頃そうなので仕方ないと言えば仕方ない。本人も悪気は無いのだろうが、そういう性格というか何と言うか。
 1年前までは批判していた事を当人が踏襲する。もしくは、貪欲にがんばろうとする人ほど陥り易い罠なのだろうか。
 Hさんも言われていたが、多い例として、自分で動ける人や技能がある人は、自分がやりたい事のみならず、周りからの期待やお願い事に対して、自分が出来ると思えばこそ何でもかんでも引き受ける。また「NPO・ボランティア疲弊の法則」から、一度でも仕方ないと言いつつ引き受けると、その便利さからどんどん頼まれるようになる。
 そんな中で質量的に調整を怠ると、もはや自分だけでは処理できなくなる。気前良く気軽に引き受けてしまった事も、どうしても人にお願いするはめになる。ただそれに慣れると、善意に甘え、また何でも人にお願いし始めるし、元から自分でやる気が無い事すら、責任が取れない事も引き受け始める。引き受けるだけならまだしも、自発的にもそれを始める。自分はこう思うという事に、理解を求めるより早く協力を強制しやすい体質はあるかも知れない。
 たいていの場合、人は社会的に意義ある活動を応援するのであって、そういった中でがんばる人に協力するのであって、大したやる気が無い様に見える人や、個人の道楽レベルに責任まで取る感覚で関わっている訳ではない。そこで路線を誤ったり下手をすると、当然ながら「いい加減にしろ」と言われる。
 単なる個人的なお願いならまだしも、法人の一事業となってくると「いい加減にしろ」だけでも済まされなくなる。
日頃感じる分に、特にNPOで人が問題になるのは、例え悪気が無くても、結果的に相手を騙す事になった場合や裏切る事になった場合、素直に謝られるかどうか、もしくは一般常識的に適切と思われる対応が取れるかどうかになる事が多いと思う。
 最悪のパターンは、もちろん「開き直る」「逆ギレする」などだ。
 もとから損得ではなく、思いで動いている分にタチが悪いことがあり、感情面から、本質を外れて自分の善意や努力の面を主張してしまう。自分はこんなにがんばってるのに皆の協力が足りない、良い事をやっているのに批判するな、良い事をやってるんだから仕方ないじゃないか、等々。一度でもこれをやると、あとはもぅ…。当人以外は納得するのが難しい議論になる。私もこれだけは常に自戒しようと思う。自分の思いや活動への理解を強制するのは好まれないだろう。まして少なからず自分に非がある中で。ある程度の気持ちは解らなくは無いけど、やっちゃいけない事だと思う(苦笑)


 ちなみにワースト3は、アルバイト料などの踏み倒し、責任転嫁、敵前逃亡(謎)。
 そういった意味では、クレームやお断りをチャンスとするどころか、満足に対応できない可能性は企業より高いかもしれない。
 今日は午前中は7時半過ぎから学習農園につめていた。台風の影響か、雨は弱くなかったが、K谷さんと土寄せや苗植などを強行した。正午過ぎに、ずぶ濡れで自宅に戻り、着替えてセンターに出勤し、事務仕事に移る。夕方、ジェイサポートの理事長が来訪し、1時間ほど状況やら事業面の連携について会話。
 思いや必要性だけで計画性無く組織を立ち上げるのは、そろそろ終わりにしたい。また協力も余りしたくない気がしている。なかなか出来ずにいるが、事業にしても組織にしても、協働連携が必要だ。必ずしも新しいもので新しいものに対応するのではなくて。思いばかりが先行して、気がつけば手足が未熟な頭でっかちの組織というのは、これまでの反省だ。あれをやるためにこの組織、それをやるためにどの組織、というのも良いかも知れないが、看板が変わっても動く人間が同じである分には、組織が増えたところで、機能的というよりは逆に雑多になるだけだ。

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