だめ社会人の放課後

どうも体調を崩しやすく

今年度に入ってから、どうも体調を崩しやすく、気も乗らない。やっぱり疲れているし、限界なのか。
いや、仕事量は減ってるから、毎晩徹夜とか嫌だとか言う話しでもない。精神衛生面だ。自分が協力しているものが、信じられなくなっているというか。
迷っている。このまま、ダラダラとNPOに関わり続けるのか。このまま「あ~だ、こ~だ」「誰かうちの組織を何とかしろ」という中で停滞し、評判を悪くするよりは、本当に責任感あって考えて動く、実務能力も備えた人達だけで脱皮して、更により多くの人を巻き込んで、気概的にも示すべきかどうか。
今のままでのNPOの活性化、事業の拡大など現状の発展は、つまりそのまま私の個人負担の増大を示す。なので、今の状態のままで努力し続けようとか、もっと沢山の協力を集めようとかは、なかなか思えない昨今。逆に事業を減らして適正規模(実際は少ないほどいい)に持っていきたい気分だ。
なぜなら、得意不得意はあるにしても、ぶっちゃけ頑張っている振りして、自分では殆ど何もしない人達の尻拭いは、もう嫌だからだ。「あんた以外に誰に頼めばいいんだ?」「何とか上手くやってくれないか?」
資力も無ければ、権威も無い。そんなNPOの社会的な武器は何なのか?
NPOの経営に企業的センスは必要だが、NPOは一般企業ではない。人が居なければ役割分担も出来ない道理。どうすれば給料無く人を雇えるのか?そんなのはボランティアに任せれば…と言うほど簡単にボランティアは集まらない。特に魅力も無ければ。
NPOらしいNPOを、一つくらい立ち上げたい。そしてそれを本気でやってみたい。信頼できるメンバーと一緒に。
仕組み、システム、そういうものをずっと考えてきた。それも大事だが、やっぱり人だ。最後に人というゲートを通過する事で、人という要素を加える事で、その手前までの計画、段取り、合意形成、仕組み、目標、理想、結果、全てが変わる。そして同じ人がやれば、たいてい同じ事だ。何故?ではない。やっぱり同じ人だからだ。

来年度以降、たとえ行政から多額の補助金や予算がつこうと、それでNPOセンターの経営基盤が確立されようと、私個人は違和感がある。いやそれはそれで良いんだろうが、あくまで個人的に。こういう事を言うと、心当たりがある?身内には思いっきり叩かれるのだが(構わないが)、たぶんNPOを余り知らない、または誤解している人達がNPOの経営陣の殆どだからだ。そう感じることが、決して少なくないので、不安を感じる事がある。もっとも私だってどれだけ理解してるかは疑問が残るだろうが、少なくとも「NPOはボランティアだから無責任でよい。」程度の意識ではない。もしくは解っていても、実践できない、したくない事情があるのだろう。
今や積極的に事業の企画立案から手伝ってくれたり、動いてくれるのは、大抵は特定のNPO法人に所属してない人達で、それが今やそのNPOセンターを中心とした事業の主戦力になっている。逆に言えば、内部の人ほど決断も出来なければ動けていない。しかも部外者におんぶに抱っこという状態に余り危惧も抱いていない。「NPOの実態なんてそんなもんだろ(苦笑)、まぁやれる限りで応援するし、手伝いには来るけどね。でも絶対に会員とか関係者にはなりたくねーな。責任はあくまで運営者側だからな。」と、そこを指摘されても、支えてくれている人からの皮肉を返せない。そういった理想と現実のギャップがある。そしてそういった人達にこそ、私が少なからず期待されている事もある。そこに責任を感じるし、どうにかしなきゃとも思えてくる。だからよく「NPOの経営はNPOでは無理なんじゃないか。」と考える。
NPOの経営について、仮に理事が実質的に参画できないなら同じ事で、主導者格が元から責任を取る気も無いなら、現場に押し付けるだけのつもりなら、そんな中で尽力するサポーターや事務局には非常に申し訳ないし、私個人の信用としても、そんな中で人の輪を広めるつもりはない、というのが今のところの本音。もっとも、やる気の無い(様に見えてしまう)経営者の下に、人は集まらない。
そしてこれ以上、内部スタッフがタダ働きを強制されるのも限界というものだ。既にバランスを逸し、経済的な自律が危うい。収益の無い事業に注ぎ込み、その責任を担当者が取らないから悪いのだが…。NPOやまちづくり団体から頼まれる仕事で、踏み倒されるのも毎年30万円程度は生じている(どう処理しているものだか解らんが)。これ以上、ロスできないし、リスクも背負えない。我が子を飢えさせてしまう様な事業には関われない(苦笑)。


さて、以前からあるが、ここ最近顕在化してきており、心配な傾向が一つ。行政職員に特に知人は多い。であればこそアフター5の話題にもなるのだが「お前だから言うけど、NPOなんて早く辞めれ。特に行政さばっかり期待しているうちは駄目だぞありゃ。」というもの。
本当の意味は、行政窓口で改善しろとか予算化しろとかぎゃあぎゃあ言われても、うちらじゃどうしようもないのに、さも自分たちは正義ヅラして文句を言いに来る。ちょっと問題があったりお金が無いと「行政、行政」って、行政の支援に期待せざるを得ないくせに、面と向かっては批判や悪口ばかりで、そんなんだから役所が窓口レベルでNPOに非好意的になるのは、人の付き合いに置き換えてみても仕方ない道理じゃないか。まずはNPOがもうちょっと最初だけでも自主的にやるとか、市民から会費とか寄付とか集めてやってみるとか、努力したらどうなの?そうすれば役所だって応援せざるを得なくなっていく、…と。
NPOの非自律性、非自主性、未成熟さに対する不満と不安である。
お互いの立場が見えず、イタチゴッコになっている傾向はある。行政が支援しないのが悪い、支援してくれないから自律出来ないとするNPO、自分たちで始めた事なら、何でもかんでも行政に期待しないで、多少なりとも自立して下さい、とする行政。
現段階での行政とNPOの協働という点で、「これだけ実績や例があります。」というのも、提示するほどに、だいぶ無理があるのは否めない。実際に言うほどの中身ではない場合が殆どだからだ。とりあえず、まだ今の時点では。
そこら辺が、いま行政とのパートナーシップという点で、多くのNPOと行政との間の課題になっている。もちろん、上手く調整して、協働という名に値する成果を上げているものもある。しかしそれも全て人で、行政側、NPO側、お互いを理解して、認め合って、もしくは理解しようと努力する人が居ればこその成果になる。べったりではいけないだろうが、日頃の信頼関係も必要だ。

元からNPOは全てに平等・公平である必要など無し。NPOが期待されているのは実質的な事で、建前や上っ面ではないし、どこの誰とか個人の都合でもなく、言葉として忘れ去られたかも知れない「ミッション」やら「課題解決」やら「相互扶助」やら迅速対応やらなのに。もう今の体制も限界で、やっぱり私がやるしかない。「自分は変われるが、相手は変えられない。」とは良く聞くし、もっともな話で。
過ぎた事は仕方ない。既存の事は、既存の事。それはそれで無責任にする気は無いし、関わった上は継続する負担も止むを得ない。が、私個人の独立した動き、新しい展望として、週明けから、少し下話を進めていこうと思う。

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