だめ社会人の放課後

以前関わっていたNPO法人が、遂に運営崩壊し、

 連休が終わった。今日は連休明け初日。しかしながら、副館長も土日出勤、今日も午後9時近くまで残業だった(苦笑)。私もこうして帰宅したのが午後10時。昨夜は午前3時までかかった。
 鶴岡アートフォーラムの準備作業は、正直遅れがちだが、しかしどこかで必ず取り戻せるだろう。オープンまで、後3ヶ月半。

 5年振りか、ゴールデンウィークらしいゴールデンウィークを過ごしていた気がする。流石に10連休などとはいかなかったが、程々に休暇も取れ、仕事もだいぶ捗った。無理のない日々だった。
 ちゃんと妻の話を聞いたり(苦笑)、子守をしたり、弟とその婚約者と一緒に昼食をとったり、友人らと酒を飲んだり、ちょっと早いがバーベキューをしたり。音楽を聴きながら、コーヒーを飲みつつ資料整理をしたり。親戚の家を訪れたり、鼠ヶ関で開催された「大漁旗フェスティバル」にも行き、公益大の学生(ギャルども笑)が参加している「風の会」の太鼓演奏などを聴いたり。酒田市美術館では藤城清治の影絵の世界を満喫した。
 そういうわけで、とくに遠出はしなかったものの、逆にいつもよりプライベートで多くの仲間と一緒に時間を過ごす事が出来て、人間的に充実した期間だったと思う。
 確か1年前の今頃、連休前は、過労で倒れて病院に担ぎ込まれていたのでは無かったか。C川原さんや、I間さんに、自宅にまで見舞いに来させてしまったものだった(当時、内陸などの一部では、私は死んだ事になってたらしい)。それらと比較すれば、何と穏やかな連休か。
 先週末までは、鶴岡市民学習農園の今年度の開園に少し関わっていたが、さくらちゃんという助手を得て、また担当理事も本気になり(苦笑)、去年ほどの苦労は私個人には無かった。

 実は3月の半ばから、庄内NPOセンターが関わる話として、1つの幕間劇があった。話し合いの中身はおおよそ記録されているが、1年半前とほぼ同じキャスティングで、ほぼ同じシーンを演じていた。
私が以前関わっていたNPO法人が、遂に運営崩壊し、理事は殆どが入れ替わり、負債の整理、定款と組織名称の変更…という事になったらしい。
 いや、それ自体は別に構わないというか、仕方ない。NPO法人も会社組織と同様に経営体であるからには、組織運営のリスクや課題は常につきまとう。
 県内でも、同じように県庁直轄のNPOセンターが極度の運営難に直面している様だ。今更ながらではあるが、補助金や助成金など、単にお金があるだけでもNPOはだめなのだな、と考えさせられる。そういう世界だ。であればこそ、難しいわけで、それがまた醍醐味でもある訳だが。
 とりわけ本来の中間支援と呼ばれる機能を、地域民の無償奉仕のみに期待しても、責任ある成り立たせ方というのは至難の業だ。かといって、行政サイドも明確な地域戦略が無いままに、NPOへの公共投資を行うべきでも、継続するべきでもないと思う。NPO側も思いばかりが先行し、言うほどに行動が伴わず、社会に信頼される材料を、満足に提供できずにいる。

 崩壊している組織体制の建て直しや、後の面倒、これからの経営に対して、庄内NPOセンターの関係者が、実働的なところを担ってくれないか、いやむしろ担うべきだろう、と言われた。
 結局、役員を入れ替えるけれども、実質的なところは任せたい、というのはどういう事だろうか、とは疑問に思った。なぜ素直に解散できないのか、なぜ無理に続けなければならないのか。答えは、特定の人が、自分の思うとおりにやるために、その基盤としての組織だけは何とか存続させたい。あとは面子の問題。それだけだった。

 これまでも、ただでさえ忙しく、正直これ以上の関わりにも責任が持てないので、個人的には断った・・・。私自身は、誰かがやった事に、責任だけとるのは容易でありません、と。その後、庄内NPOセンターに入居する他の団体に、どうしたら良いかと伺いを立てたところ、9割の団体が関係に反対した。それをもとにイーコムが庄内NPOセンターの幹事団体として前面に立ち、あくまで経営判断として、組織的にも関係を断った。
 その結果、向こうの関係者から「あなたたちや他のNPOが、どうしても、うちのNPOの運営に協力しないと言うなら、それは極めて不愉快だ。うちのNPOへの敵対と見なし、全面対決する。我々の言う事が聞けないというなら、私は今・・・という立場だから、解ってるだろうな。こちらにも考えがあるからな。」という台詞があった。
 その後更に、自分の言うことを庄内地域のNPOに徹底させる事が出来ない人間が、庄内NPOセンターのセンター長などである事はおかしい。早く誰か別の人に代わってもらいなさい。という助言までも頂いた。
…別に言われるまでも無く、それが罷り通るならすぐにでも辞めたいと思った(苦笑)。
 協力を断られて、不愉快なのは確かだろうが、相変わらず、いざとなれば、いまだにそういうやり方、言い方もするのか。そういう人がNPOに関わって、NPOを論じ、いまだに大きい顔をしていればこそ、悪いところばかり目立ち、いつまでも評価されず、信用も上がらないのではないか。


 以来、ここ1ヶ月以上の私自身の、心身の停滞・・・。
 3月半ば、鶴岡アートフォーラムの立ち上げ・運営という、新しい仕事に取り掛かろうとした矢先の事でもあった。いや、しかしこの停滞も、ある意味、平和とも言うのではないか。これを理由に(言い訳として)、もうNPO運営や、それに関わる事業活動から、離れてしまおうと真剣に考えた。
約1ヶ月半以上。時間だけが過ぎている・・・。
 ゆっくりと、疲れが抜けていく感じもするが、疲れと一緒に、やる気も抜けていく感じがする。自分自身の中で、何かが過ぎて終わっていく感じがする・・・。落ち込んでも行く。表面的にはともかく、心理的には考えるほどに辛くなる。ふと考えてしまうと辛くなる。周囲とのくだらない冗談や、会話で気を紛らわせても、大した意味を感じられない。

 市民活動とかいうものは、やっぱり、元来そういうものなのだろうか。思いつきで、その場の感情任せで、強引にも事は進めるが、後は知らない、結果にも責任は持てない。単なる自我が肥大した一市民のわがままか、と・・・。それに騙されて振り回されるのは、さらに道化でしかないな、と自嘲もしてしまう。

 いや、でもそれは一部に過ぎない。声を大きくするだけが目立ってしまいがちだが、必ずしもそれが大勢ではない。その影で、それは違うと、そうではないと、身を以って払拭しようとしている人が、尽力している人が如何に多いかも自分は知っているはずではないか?あらゆる地域課題に対して、到るセクターとの連携や協力関係を模索しながら、悩みつつ地道に努力している人達を沢山知っているはずではないか?と自問する。

 今回に関しては、誰がどう策動した結果としても、ただ私自身が動くことを、周囲の皆が止めてくれた。会員やスタッフばかりでなく、一部なりとも、政財界の動きにまで関係してしまった。

 多くの人が庄内NPOセンターの行く末を心配してくれて、励ましてくれて、代わりに動いてくれたり、アドバイスをくれたり、協力もしてくれた。勿論、私そのものへの協力などではない(下らない慢心などはしてない)。この地域のNPOを何とか健全な方向に進めたい、健全な経営姿勢・体制を守らなければならない。今はまだ小さい芽だが、ちゃんと育てて行かなければならない、近い将来、必要となる日が来るだろうからという思いが、既に皆にあるからだろう。

 仮にどんなに良い事だとしても、最善の理想に思えても、それに対して誰もが賛成でなければならない、というのは妄想で、そこに政治力や経済力などを持ち込み、圧力的なやり方で物事を変えようとするのは、特にNPOには馴染まない。

 個人の面子やプライドのために、NPOが必要なのか?
 誰かが周囲を犠牲にして、やりたい事をやりたい様にやるための仕組みがNPOなのか?
 自分の言うことを聞かないNPOは潰してやるというのがNPOの言うことなのか?それが地域のNPOの代表を自負する者が言っていい事なのか?
 …確かに、2年前までは、それで通っていたような時期があった。NPOなら何をやってもいいんだ、時流に乗ってか、そういう勢いも一部にあったかも知れない。騙されていたとは思いたくないが、私自身も誤解していたのかも知れない。法的にまずかったとか、そういう次元の話では一切無いが、少なからず誤っていたものがあった。
 やがて、その重要さを自覚して、私自身、精神的にとても苦しい思いをした。自分の能力の無さ、考えの浅さ、見識の狭さ、地域を知らな無すぎたこと、善意や人の見方を誤ったこと、自分の未熟さを悔やんだ。であれば、自分が関わってきた責任を感じ、今時点でも、愚かなりに、よりよい社会の支えとなりたい思いでいる。
 その結果、より多くの力強い支援を得る事が出来て、体制を変える事が出来て、過去3年で出来なかった事を、たった1年足らずでやり遂げた。その成果が、まずは庄内NPOセンターだ。まだ未熟ではあるが…。この地域の新しい芽を、何とか守り、育てたい。
 排除という意味ではありたくないが、時に強い個性や、強い理想は、それを信じる余り、違う意見や考えを許容しない。その結果、組織に誰も居なくなった事がある。
 単に主張が強く、口うるさいだけで、尊敬や共感が無い人間に、人は無条件では従わない。
 人は人に従うのであって、ルールや理念に従うのではない。NPOの場合は、組織とはいえ、ボランティアの延長線という見方がされやすい中では、経営力では無く、個人の思いによって、誰でも偉く(理事)なれる気がするかも知れ無い。
 しかし個人はそれぞれの思いや行動力でもよいが、組織は経営力がものを言う。
 人が居なければ事業も出来ず、手足となって動くスタッフが居なければ、思うが侭の活動も出来ず。
 それが何のためかも示せず、ただ命令するだけで、人を動かそうとするだけでは、単発にしても、参加するボランティアの熱意や、他の組織、地域からの支持も得られず、一部が自己満足するだけでは、人は付いて来ない。
 ボランティアも奮い立たず、ほんの付き合い程度の機能しか果たせない。そういう状況も経営力の一端なのだ。

 これを乗り切って、より良いものが、また成長する事が出来ることを。
 日々「これで、いいんだ。」と思いながら。

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