なんだか一気に色々なものが覆い被さってきた。重すぎる。これが本当の圧力なんだろうと感じる(謎)
今月末とゴールデンウィーク辺りは1~2日くらい休めるかと思いきや、また色々と企画を出されて対応と調整を求められる。皆の前でやると発表してしまったら、やるしかなくなる。そんな事まで私は聞いてない、と思ったところで仕方が無い。言うのは理事、決めるのは理事会、やるのは事務局、やった人が悪い。
時間も無いので今日も徹夜。体調不良をだいぶ自覚しているのに…。やらなければ信用を無くす。
実感として、NPO法人の専従職員は、理事のアイディアや発言、思いつきに全責任を負い、かといって給料貰えないどころか赤字の補填まで義務付けられ、運営やら何やら組織の責任まで取らされる可能性が高い。肩書きがちょっと違うだけで大変な差だ。
NPO法人の役員の9割以上はおそらく報酬を得ていない。そういった面では、別にお金を貰ってやっているわけではないのだから、善意でやっているのだから、と責任感覚や経営意識が欠如しやすいのは確かだろう。また社会的ステータスと思えば、率先して無料でも仕事を引き受けるし、斬新で派手な事業のほうを好む。
今回の事業で、グラウンドワーク庄内は経営上、資金面で一気に苦しくなった。いくら丁寧に仕事しても、考えても、こうやって夜中まで作業しても、結構な作業量だとしても、1円にもならない。それどころかアルバイトを雇ったり、結局は自腹を切るしかない。事務局で責任取れと言われたら、私個人が補填するしかないのか。
ぼんぼんぼんぼん仕事の依頼があるが、特に行政からのアウトソーシングは結構極端で、おそらく市町村の行政職員の95%は「NPO=ボランティア=無料で仕事する連中=人件費が無くて済む」という程度の認識だろうと、NPO担当の県庁職員が言う。迂闊にこういう事をいうと怒られるだろうが「役所もお金が無くて…。」と言われると、私などは単純に「じゃあ、やらなければいいじゃん。」と思う。でも結局、何でそれをNPOが代わりに無料でやってるのか、義務として押し付けられるのかと不思議に思う事も少なくない(苦笑)。いや別に嫌では無いが、理屈として面白いものを感じる。基本的には、私などの能力と労力とで地域が少しでも良くなるなら、極力お手伝いしましょう、という気持ちで居るのだが。
仮にNPOを評価できない理由の一つに、内実としてどれだけのNPOが組織的にやっているのか、というところがある。実際に確かに登録上500人の会員が居ようが、動くのはいつも1~2人だったり、5~10人程だったりとか、逆に会員外の方のほうがよく動いてくれたりとか。要は皆、本気ではないのだ。このレベルでさえ、アイディアや思いや使命感はあっても、行動は無い。そうコントロール出来ない事務局が悪いと言われれば、それも確かなのだろうが。
それに律儀に付き合っている私は、周りの道楽に責任まで取らされる羽目になる私は単なる馬鹿にしか見られないだろう。
ふぅ…。明日は丸一日、鶴岡市の今年度新規採用職員の研修という事で、一環として私にもちょっと来て欲しいとの事。やはりそういう扱いなのか「悪いが謝礼とかはないぞ」だ。うん、まぁ元から期待もしてないのだが、敢えてそう言われると、ちょっと複雑な思考も廻る。
事業が活発になるほど、範囲が広がるほど財布が苦しくなってくる。やっぱり、そろそろこの仕事は辞めようかと思う。申し訳ないけど、今のままではもう3ヶ月、半年は私が続かない。事務所のランニングは大丈夫だが、人は雇えないレベルの経営だ。
パートナーシップオフィスの理事と、グラウンドワークの事務局長、イーコムの理事を辞任する。もう責任を取れない。
傲慢だろうが、もしくは私を内部関係者にすれば、その中で何を頼んでも無料で済む、何でもやってもらえる、という感覚もあるのかも知れない。
現実に立ち返って、私もそろそろお金が無いので(爆)、そういった期待に応えるのは限界だ。
庄内NPOセンターは、みんな午後5時以降、あとは土日だけでやればいいのだろうと思う。仮に私1人が抜けた程度で、入居団体が全て成り立たなくなる、という事は無いとは思うが、「辞められると困る」「継続してがんばってほしい」とは言われるかも知れない。皆の都合上、給料なしで仕事してくれる私は、とても貴重な存在だろうとは思っている(苦笑)。
これが本当の圧力なんだろうと
Posted by
2004年4月19日
–