土日もバタバタと過ぎた。今日も昼からセンターに行くと、千客万来。夕方前、月曜からの研修会の運営(ちょっと再構築)も含め、そろそろ正面玄関を閉めて孤独に作業に集中しようと思い、カーテンを閉めた瞬間にK谷さん(あらゴメンなさいっ!)。K谷さんとの話も尽きない。NPOが、どうしたらもっと上手くいくのか、個々の団体の話もあれば、全体的な課題での話もある。私も日々、それだけで頭を悩まして疲れる毎日だが、K谷さんにもそれだけ思いがあるのだろう。
夜は溜まってしまった支払いでA部久書店により、ついでに「時代劇映画祭」など、最近のS内市民活動センターの事業内容や、また私が考えているこれからの方向性や、A部さんの考えている方向性などについて意見交換をした。
南庄内のNPO法人も、ボコボコと立ち上がって、2~3年経過している。大勢的にも、組織的にも、大なり小なり、見直しや改善(改変)の必要に迫られているのが現状だ。別に南庄内とか、庄内とかに限った話でも無いだろうが。
ぶっちゃけ、分散した力を再集結させるとか、改変の時期という名目で、新しい流れ(人)を組み込むとか。整理の時期でもあると思う。逆に言ってしまえば、既存の体制のままでは新しい流れを組み込めない。
庄内NPOセンターは、運営委員ら関係者の努力により、今月でちょうどだが、丸1年間かけて、ようやく地域内外のある程度の人的・NPO的ネットワーク、県内外との情報的な基盤を確立し、最低限施設運営上の経費を捻出できる程度には、何とか民間のみで自立した。補助金や助成金も一切無い中で、考えてみると、過去3年かけて出来なかった事を、ゼロから1年でやった。勿論より多くの人達の協力のお陰だが。
しかしそれでスタッフの給料を全て保証するまでには至っていない。庄内NPOセンター、もしくはNPOの事業を、仕事として安定させるには、スタッフの人件費を賄うまでの組織的な基盤を作るには、もっと多くの方々のNPOへの理解も必要だし、内外の関係者の意識改革も必要だし、それはこれから私自身が仕切り直して始めたとして、精力的にやって10ヶ月から1年。もしくは2年。まだ時間が必要な作業だ。しかし正直、今の私自身の体力と、個人の財布では、もう心許ない。
それでも、庄内NPOセンターが、既にある程度周囲の支援を得て動き始めて、健全な方向で軌道に乗りつつある事に、安心したというか、達成感は感じる。おかげで今後の事は…あとは「疲れたなぁ。」と気が緩んだり(苦笑)。
NPO。がむしゃらに走って、3年。振り返って先を考えて1年。出来た事もあるが、出来なかった、手を付けられなかった事の何と多い事か。
今、地域では市町村合併の動きもあるが、NPOも酒田・鶴岡でも色々と大きい動きや流れがあり、それにどう対応するか、もちろん私個人などでは図り切れない。
でも、ま、気楽に、無理せず、かといって過度に楽観的にならず、慎重に。明日の夜に、酒田で金子さんと庄内北部の情報交換をして、今後の私の存在意義や、周囲にとっての利用価値も考え直したい。
私自身、体調はおそらく回復しており、夜な夜な熱に悩まされる事は無くなったが、1つ、寝る前など、咳だけ止まらない。そういえば3~4年前もちょうど同じ感じで、診察したら、ストレスと診断された。あの時も、風邪が治ったのに咳が止まらず、困ったものだった。
また育児の問題が出てきた。今のままでの超不規則な仕事スタイルや、安定しない生活スタイルでは対応できない。そんな稼ぎのある夫でも無いのに、ほとんど母親と妻に任せ切りでは、たとえ細くとも、大黒柱もどきとしては面目ない。生後一ヶ月の子どもの顔を見るたびに責任を感じる。まぁ別に子ども自身は「責任取れよ。」とは言わないだろうが(苦笑)。
いくら人に喜ばれ、頼りにされても、感謝されても、私自身が成り立たねば、これ以上はない。NPOから完全に足を洗うというのは無理だろうし、望むところでは無いが、目先としても、もうちょっと安定した仕事を探したいとも思っているこの頃。親戚の方も気に掛けてくれるし、私もそれが望ましいかなと、理性的に考えている。
会計を整理したが、ここ3年半で、パソコンから消耗品から、200万円近い金額を、NPOと、この仕事に捧げている。NPOは個人では無いと主張しつつも、この辺、私も矛盾している。仕事して、1割はNPOに寄付とか。
馬鹿でしょ?でも、私もこのくらいやらねば、ここまで出来なかった。誰かがやらねば、それまでだった。いくらとやかく命令されても。
今はまだ未熟でも、それだけ、NPOと呼ばれるものの可能性とか必要性とか、意義や価値を信じている。
さてさて、3時間ほど仮眠して、夜明け前のNPOセンターに出勤といきますか。苦しいながらも、がんばるしか無いんだなこれが。