第3回「環境共生シンポジウム」


疾風怒濤の3日間が終わった。
2日間に渡った第3回「環境共生シンポジウム」は、S田市を主幹とする庄内北部1市6町、及び総合支庁、東北公益文科大学との連携事業だった。NPO法人環境協働組織・グランドワーク庄内が、そういった部分で、企画調整部分と一部事務的な部分を任され共同開催した事業だった。全体会に300人、分科会には100人以上、スタッフ数は県・市町職員を含めて約50人。
3日間に渡った第2回「ポニーと遊ぼう」事業は、合計400人の乗馬体験者、延べ100人のボランティアスタッフ、また○山商工会をはじめ多数の人的・資金的な協力を得る事が出来、感謝感謝だった。
「ポニーと遊ぼう」事業は少し難しい部分で、一応はS内市民活動センターの自主事業という事なのだが、実質的には、ポニーと遊ぼう実行委員会の総意もあり、スタッフ手配も事前事務作業も、ほぼグラウンドワーク庄内、というか私のほうで対応した事業だ。
特に2日目の山王ナイトバザールでのプログラムは、相馬ポニー牧場のスタッフ以外はほぼ学生のみだったし、スタッフ達の朝夕の食事を用意してくれたのも山形大学農学部や東北公益文科大学の20名ほどの学生だった。そういった点で、今回の「ポニーと遊ぼう」は、学生の活躍と功績が大きいと思う。改めて感謝したい。
そうして、今夜は帰宅し350ml缶ビールを半分ほど飲むと、疲労のためか睡魔に負けて、そのまま2時間ほど寝ていた。結局、夜に東北公益文科大学のN塚(ヨーロピアン)に電話で起こされた。
早ければ10月1日から、イーコムを主幹団体とするNPOの共同事務所、庄内NPOセンターを立ち上げる。庄内アインシュタインの会と、環境協働組織・グラウンドワーク庄内、外堀堰再生・保存の会などが所属する。山形大学農学部の学生にもデスク1つを提供する予定だ。学生にも、こういった場でもっと活躍して欲しい。
環境共生シンポジウムの整理がある程度ついたら、私はまた鶴岡事務所に戻るだろう。暫時の休息後、このセンターの整備を気合入れてやろう。そう考えると何だか、最近少しまた楽しくなってきた(苦笑)
酒田・鶴岡、1年以上前からの構想が、実現に向けて動き出している。NPOの拠点整備。以前の環境ではそれが出来なかった…。
が、一応今回は私が所長という立場に推薦されているし、幹事団体の理事でもあるから、決定権なんかは別に無くても(要らないし持たないほうが良い)、提案出来るくらいの立場にはあるんだろうから、色々とやり易くなるとは思っている。
ただ反面、少し不安が大きくなっている事がある。市民団体などの中には、組織をヤドリギの様に枯渇させて、また次の組織を渡っていく人達が居る様だ。組織を作っては壊し、組織に入っては壊していく。そういった点で、より防御を堅く、繊細にしなければならないのでは無いか。言うなれば、そういった人達を組織運営の中枢に関わらせない様な体制を築くという事なのだろうか。でもそうすると色が出る。良い色なのか、悪い色になるのか。何かと抱擁する寛容さは必要だが、無制限ではいられ様はずがない。そう考えると、そろそろ対立に近い構図を生じざるを得ない相手も露骨に出て来るのだろうか。もちろん、一方的な、命令に近いような、個人のわがままを運営の基幹には据えられない訳だが。
こういった状況の中、うちの団体こそがNPOセンターの主幹団体にふさわしい、うちの団体のほうが前からやろうとしていた事だ、俺の言う事を聞け、俺を運営委員にしろ、という人も出て来ている。正直、そういう人に壊されたくない。そういった人達はその繰り返しなのだ。結局、信用ある組織の信用を利用して、また信用を失墜させていく。そういった人に利用されてはならない。
だからルールが必要になる。一般的な市民団体・ボランティア団体であれば、そんなルールなどは必要ないだろうが、本来的に法人組織は法に基づきルールの下で運営する。当たり前だが、その当たり前さが逆に盲点なんだろうか、と思う事もある。
一部市民活動団体など(もしくは法人でも)は、カリスマ主導型の代表が人を動かす。そういった団体の中には、おおよそ、組織の合意形成過程にルールが無い。1人の人間、もしくは一部の人が「やる事にした」「やりたい」と言えばいい。が、色々と成功しつつある部分で、ついつい舞い上がって天狗になり、周囲との調整も欠き、「俺の命令さえ聞いていればいいんだ!」となると周囲は離れていく。もとから金銭契約ではなく、先ず想いがあってやっているから、理念だとか想いが異なってしまうと、いとも簡単に離れていく。逆にそこまでして関わる理由も無いからだ。ルールがあれば、もしくは防げる可能性があるかもしれない。
私もある面では十分に注意しなければならないが、周囲から評価され、また実績を築くと、若いうちはまだ動けるからいいが、動けなくなると、その評価や実績を守りたくて、ついつい変な方向に走り易いらしい。
何のためにこういった活動をするのか、初心を忘れやすいという事だろうか。徐々に徐々に「社会のため」から「自分のため」になる。社会に必要かどうか、という部分が関係なくなり、自分がやりたい事に皆の支持を求める。社会的な貢献というか、公益的な部分と、個人の方向性が一致している分には良いが、そこが離れ過ぎると、冷静に見ている人は批判も始めるし離れていきやすい。
そうなって自己中心的になったら終わりだ。責任を周囲に求め始める。「市民の意識が低すぎる」「地域が遅れている」と。ルールを設けると、「そうしたら何も出来なくなる。俺のやりたい様に出来なくなる。」と言う人も居る。事業を始める前に予算書や計画を作成するのは当たり前だ、と思いきや「お金が無いから、と考えたら何も出来ない。」と挙句は事業後に借金を踏み倒す人も居た。
だからそういった無秩序な人達には、少し離れてもらいたいのが本音は本音だが、そういった人達こそ好んで集まり易い環境とも言える。難しいなぁ…。
と、実は悩んでいる、という事をこうして表に出し過ぎるからこそ、「であれば…。」と、そこに付け込んで利用してやろうという人の悪意にさらされ易いのだろうか。この時期に接近してくる人に少し気をつけよう。…ま、さすがに2つの大きい事業をこなし、疲れた。今は少し休息を取ろう。

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