パソコンが壊れて入院している


パソコンが壊れて入院している。たぶんOSの一部が、職場の暑さ?で飛んだんだろう。人でさえ壊れかけているのだ、やむを得ない(笑)。
それよりデーターが最優先のため(バックアップはあるが)、あえて業者さんにお願いした。ついでにCPUをPentiumⅣの1.7Ghzから3.06Ghzに交換した。最高速更新。あまり・・・意味あるのかな。
土曜日は、午前中、グラウンドワーク庄内で今年度受注した「鶴岡公園生きものマップづくり」にスタッフを集めて参加し、午後は庄内アインシュタインの会のセミナーの撮影係という形で参加した。鶴岡公園生きものマップ作りは、家中新町の子ども会との連携で、ウォークラリーがメインで、そこに便乗させてもらっての事業だった。汗をものともしない子どもたちの元気さには参った(苦笑)。はぁ…私も27だしなぁ。歳だな(笑)。
日曜日は朝6時から草刈、日中は事務仕事をすると、夜は赤川の花火を鑑賞に行った。今年は有料席を購入しての鑑賞だった。天気もよく、人手もまずまずだったのではないだろうか。ただ帰り際、今年は特に、駐車場から出る車の誘導に難があったらしく、2時間近くも駐車場に閉じ込められた事に、苦情が殺到していたようだった。○○県ナンバーの運転手などが「もう2度と来ねー!」とか誘導員に叫んでいたのは、ちょっとショックだが。なかなか、ここまで大きいイベントは難しいのだろう。現場スタッフの苦労が思いやられるが、来年以降は一番の課題になるのではないだろうか。イベントの参加者の満足度を、とりあえず会場を出るまでは維持しなければ。


最近、テロリズムやら映画やドラマの題材にもなるが、行政や企業やNPOも併せて、組織論について考えている。新書も数冊買ってみる。集団が上手く機能しないとして、コアすら不安定な要因として、特に個々人の理解や資質を問題にしたところで解決がないとすれば、ルールや約束事も余り効果が無いとすれば、どういう仕組みや、ギリギリのガイドライン、もしくは役割分担、目標?が適切なのか。特に個人的に悩みの種でもあり、主体的に関わる「NPO」というものは、縦割りや上下構造では、まず上手くいかないというのは、腐るほど前例がある。初期はいい。中期、後期では特に機能できない。
また中間支援組織に見られる、失敗といっては何だが、困難さについて、逆に「ネットワーク」とか「協働」「連携」というものを前面に押し出していればこそ、逆に上手くいかないのではないか。もしくは常に人とやり方だけの問題だったのか。総括や、統括という概念は、個々に主体性があり自立しているNPOには、不適切だという可能性はないか。まして既存のものではないため、権威付けや理由付け、認知のされ方についても、特に組合や連絡協議会は本来的に相応しくないのではないか。
NPOの組織は、同じ地域にあるとすれば、仮に法的には17の項目に分かれるとしても、その共有の目標は「住みよい地域」のようなニュアンスにたどり着く。とすれば、情報共有くらいはともかく、個々がそれぞれの判断で行動するスタンドアロン形式がいいのだろうか。連携したところで、かえって個性を殺ぎ、余力が奪われる結果になるのか。思いが強く、方向性が明確で、やり方に拘りがあるもの同士だとすれば、あえて一緒にやるのは弊害のほうが大きい危険性がある。または、その作業は、「連携や協力体制が必要だね。」という声が大半を占めてから(実際は遅過ぎるだろうが)、合意を得る経過を基調としながらやるしかないのか。
皆がそれぞれ自由に活発に思いのままにやれる環境の土台は、今までは事務局だった。それぞれに、多機能で安上がりで確実な事務局が必要とされる。だが単一の組織に単一の事務局を設置する余力は無く、複数団体の事務局という役割が、一部の人にのみ集中した。それは肉体的にも当然ながら、精神的な疲労やプレッシャーが想像以上にある。そして人が次々に潰れていった。それはここ2~3年の、色んな団体の現場の推移を辿れば解る。
新しい形態が必要とされる中、うっすら見えて来ている。まったく上手くまとめられないが、考えた結論より、感じているそのままのほうが、正しい事もあり得るか。

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