私が書くこの日記も、そろそろお終いだろうか


 もしかすると、私が書くこの日記も、そろそろお終いだろうか。別に唐突という訳ではない。
 6月当初宣言したとおり、3ヶ月では、目標の達成率が3割くらいだった。
 私の思いやビジョンとは裏腹に、そろそろNPOとの関わりを制約せねばならないかも知れない。実質は個人事業主だ。
 というのも、ここ数ヶ月の私の状況に、やはり家族親戚が黙っていない。いつ頃からか、思えばこの繰り返し。いや、私が悪い。
 自分で他で仕事する分にはいいが、事務所(NPO)からは殆ど収益が入って来ない。
 NPOを活用し、自力で飯が食えるようになり、その余力で私たちを支援して、というのが内部の期待だろうと理解してはいるが。
 NPOや訪問者から、相談やアドバイスを求められても、仮にも以前から地域の中に中間支援組織がある建前、向こうが「それはうちがやっています。」という筋からして、それを新たにこちらが業務として見なす事が適わず、事業化はしていない。NPOセンター、もしくはイーコムとしては、裏メニューというべきか。現実的に、人はこっちに流れて来てしまうが…。まぁ、形式的にも、うちは中間支援組織じゃないから、やむを得ない。まして、病院の案内で各診療科毎に振り分けるが如く、相談者は団体毎に振り分けるだけのつもりで、私自身が常にメインで対応する事などは、想定していなかった。
 あれお願い、これお願い、おおよそタダ働きである。いや、元からタダ働きだと解っていれば、私も始めから動いてないし、別の方法を提案するか選択している(笑)。まぁNPOや任意団体を仕事相手にすれば、この手の結果は多いのだが。もっとも、私も自分で始めたNPOの事業を、収益率の高いものに育てるまでに至らせる事が出来ていない。相変わらず、なんだかんだと時間をとられ・・・。それが無駄と言えば相手に失礼だが、より有効に時間を使うことが、私の資質として適わなかった、という事だ。
 朝から夜遅くまで、仕事仕事とは言うけれど、確かに新聞に雑誌に掲載して頂いたり、テレビに出させて頂いたりはしてるけど、そういう事業や評価に見合った様な収入は得られず、内実家庭に入れるお金も滞る有様。挙句4月には倒れている。いくら人様のお役に立とうとも、毎月安定せず、年間200数十万程度の収入で、時に家族親戚を不安にさせるようでは、田舎の家とはいえ、大黒柱?として、27歳の男として、余りにも情けない。NPOはもっと裕福な方々にお願いしなさい、との事。まぁ確かに会長さんやら社長さんは多いが(苦笑)。
 第一、地域の課題解決は議会やら行政やら社会福祉協議会の本来の仕事で、仮にNPOが無くて困る責任があれば、その人達に取らせなさい、と親戚の行政職員から諭される。それはまぁ・・・もっともか。
 反省はあるが、私個人は、これ以上は周りを説得する自信も無いような。今まで説得してきたとおりに、言って来たとおりに必ず、100%保証できるという自信は無い。10年後、20年後、ちゃんと子どもを高校・大学と入れてやれるだけの仕事に出来るのか?妻を不安にさせないか?家族を保証できるのか?
 妻と子どもを引き合いに出されると、返す言葉はもはやない。100%なんて言われても、そんなの世の中にある訳無いじゃん、くらいの事は言えたかも知れないが、この場合、理論的とは言えず、誠意ある相手の揚げ足を取るという事に近くなりそうだったので止めた。私を馬鹿にしているのでも否定しているのでもなく、決してNPOの事業自体を否定する訳でも無いが(そりゃ多少は否定しているが)、逆に能力があればこそ、今はもっとそれが色々な面で評価されるところで働きなさい、との論法であり、誘導で、これまでとは違い、配慮もあるというか、リアルというか、説得や交渉の水準は上がっている。流石だ(と、感心している訳にもいかんが)。
 K藤さんも「俺がNPOを薦めたのは1~2年勉強をさせるつもりで・・・。」とやや弱気で、「これからはNPOだ。」とは、既になかなか言い切れない様だった。それも責任なのだろうし、私の資質の限界を示唆もしているのだろう。
加えて「しっかし、お前がそんなに早く結婚するとか、子どもが出来るなんて想像すら出来なかったからなぁ。」「だったら最初からNPOは許さなかったなぁ。」との意見も身内に多い(どうもすんません)。
 傍から冷静に見ている立場としては、NPOの役員の大半は、殆ど行政のお金を頼みにしているし、そうやって施策を誘導してはいるが、現実はそこを逆手に取られて、行政から安い下請けのように使われている。行政予算が削減される中、新規予算なんて難しいだろうし、そこを期待するのは時代に逆行しているとも言える。そもそも行政頼みであるとすれば、NPOの自主性が疑われる。
 NPO=ボランティア=タダ働きで、且つ法人だから責任まで取ってくれると言うからこそ、大半の行政も好んで使おうとしているだけ。単純なことで、給料分を払ってまでは何かをお願いしようとは思っていないし、期待もしていない。期待されている、と思っているとすれば、それは誰から聞いた?何で読んだ?あくまでNPO側の一般論? また行政予算を使ってNPOを育成して、今後の市民とのパートナーシップを形成するべきだ、との提案というのは正にNPO側の一方的な理論で、もしくは中央の理論で、確かに一部はそういう人も居るかも知れないが、地方行政の内部で一般的に受け入れられている話ではなく、勝手な期待だ。だからこそ、上手くいくかに見えて、必ず上手くいかない。何でまずそこに気付かないのか?自分たちの理想や情熱に陶酔して、一般論とか、世の中の仕組みが解らなくなったんじゃないのか?とまで指摘される。
 まして、そういう仕事で、いつも結局1人で責任取らされている。企画立案者や理事は結果として「こんなはずではない。」とか「そんなつもりではなかった。」とは言うが、頼んでやらせた後、その言葉以上の対応は出来ないだろう? そのうえで自立を促しているのだから、ある意味、期待というより責任転嫁でしかない、と。
もしくは、事実と違うとしても、傍からは、そういう風にも見られているという事か。
 私が○○○○の理事を辞めると、○○○○は責任持って継続できないので、自動的に法人を解散するという事だった。もしくは当時、私の辞任を引き止めるための切り札だったのかも知れないが。結局、そこら辺も含めての指摘なんだろうか。
○○○○が解散し、NPOセンターの賃貸契約主体が無くなる。となればNPOセンター解体。仮にそうなってしまうなら、何と脆いことか。もしかするとその程度のものだ。だがそれで誰が困る?入居団体とか相談に来る人、遊びに来る人。でもだからといって、何でお前だけがリスクを背負うのか?
 辞めるな、がんばって続けろ、今が一番苦しいんだ、という人は、そうやって誘導する将来に責任をもてるのか?自分たちの都合だけで物を言ってるだけじゃないのか?いつまでたっても理想論の繰り返し。まったく先が見えない、誰も実現性が高く且つ具体的なビジョンを示せない。絵にかけない、それが限界だ。意味が解った上で、それでも「いいえ、NPOの仕事は今後100%大丈夫です。」と責任持って保証書に判子を押せるか?1人でやるのか?それを実質支えてくれる人達は居るのか?殆どお前1人に押し付けて、1人で頑張ってもらうしか無いと言ってるだけじゃないのか?
 残念だろうけど、ここはS台とかY浜じゃないんだから、仕方ないんだ、お前の責任でも、誰の責任でもない、と。


 駄目な理由や、投げ出したり諦めたりする機会は、今まででも、いくらでもあった。
考えると、何でそれでも続けて来てしまったのか?(苦笑)
 ギリシア神話の「パンドラの箱」の逸話で、一番最後に残された、もしくは一番厄介なもの。希望という執着だったのか。時に、そんな希望こそが判断を狂わせる。
 そういえば、来月「山形VS若者」というシンポジウムがある。こんな状況の私は、果たして出席する資格があるのかどうか、やや疑問にもなってきた(笑)。ま、経験上、伝える事は出来るか。この日記も、その一環で、もしくは、それが今後の役割かな。であればこそ、私個人の恥も具体的にさらしておいたり。はぁ・・・私はもう、いいよ・・・疲れたし(なんてね)。

 と言いつつ、さてさて土壇場。9回裏、10点差、ツーアウト、ランナーなし。石塚はバッターボックスに向かいます。起死回生なるか?
 ・・・そういえば、野球は1人じゃやれないっけ。(※小学校から高校3年まで野球部です)

 ま、結果的にどうあれ、もとから私が好きで始めた事。あくまで自己責任の範疇で、だが私自身に期待されていた経営手腕が備わっていなかったという事。周りがどう評価したかは解らない。それを誰に責任取って欲しいとも思わないし、誰の協力が足りないとか、協力しないのが悪いと感じた事も無い。愚痴にせよ、不満にせよ、半分以上は、自分自身に憤っているようなものだ。なんで周辺の環境も含めて、自分が招いた事、全て自分に起因する事象だと思っている。
 皆さんには、いつも大変ご迷惑をお掛けしてまして、本当に申し訳ない(苦笑)。

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