K間さん宅に電話すると


K間さん宅に電話すると「ちょっと家の中の遠くに居るため、呼ぶのに時間が掛かるので、折り返しこちらの方からお電話させるようにしますので。」との返事。家が広いのも何かと不便なのか。
さて、灰色の重い空、ちらつく雪、ようやく冬らしくなってきた。しかし会議、会議、会議、会議、と無い脳みそフル回転で、そろそろ頭が疲れて来た。NPOからも誰か出席して欲しい、というのが最近の常套句だが、たまに同じような事を、前の会議でも更にその前の会議でも言ってたような、同じ事を議論してたような、と傍で聞いてる分にもそんな既視感におそわれたり。
「というわけで、お金も無いから、これはNPOで何とかしてくれないか。」との結論もあったり。そのために呼ばれたのかと思うと、ちゃぶ台があれば引っ繰り返すかも知れない。うがー!!!
いまだ、好きでなければ、思いが無ければ、おおかたのNPOの継続的なスタッフなど務まらない。自己実現や、思い以上に、NPO法制度や非営利組織の経営を理解できるものが稀で、基本的に社会保障も無く、給料も滞り無くなる中では、現場のノウハウを持つものは長続きせず、かといって相談や無理難題は山の様に積まれ、周囲の「何とかしてくれるんじゃないか。」という期待やプレッシャーに苛まされる。そういった中で、自分を奮い立たせて臨むのは至難の業だ。逃げたくもなるし、途中で放棄したくもなる。何で自分が…とも思いたくなる。そういった環境で、その人の立場にたって考えられるなら「いや、世の中のために、君の使命として社会に身を捧げなさい!自己犠牲は美しい!」などという精神主義者でもなければ、頭を悩ますだろう。
本音を言うと、私はおそらく、本来自分には無い責任を自分の責任と感じて、それにしがみつくことで自分を説得し、また「やりがい」という言葉で、負うべきでは無いはずの苦労まで自分に納得させ、何とか踏み止まっているのではないか。ギリギリのところで葛藤を殺している、悪い事だと思う。そのためか、今年は倒れやすい年だった。


アインシュタインの会の理事長さんは「うちの組織は理事が動かない事は前提としていないし、名前ばかりで責任も果たせず動かない理事は要らない。」と明快だ。私の様な小心者にはとても言えない台詞。鳥海自然ネットワークの今井さんからも、以前に同じ話を聞いた。「給料も払えない理事たちが酒飲みしているときに、なんで事務局が徹夜でタダ仕事しなければならないの?おかしいよね?」(どこだろう、そんなNPOは)とは、仙台のNPOの知り合いの方からだ。何でだろう。
ま、皆、思いや感情で仕事してるんだ。難しい。こういった活動で、打算がないのは良い事かも知れないが、個人的には嫌いだ。かえって「頼むから金で解決できる事は金で解決してくれ~、そんなところにまで思いだとか善意だとかを持ち出すなぁ~。」と泣きたくなる事もある。ほんとに勘弁してくれ~(苦笑)。
たまに人間関係の地雷を踏む。同席させてはいけない人を同席させてしまったり、一緒の名簿に載せてしまったり。すると「あのやろー、このやろー」の世界だ。言ってることが同じな分には、原因は理屈ではない事が解る。
事業や組織運営の進行が、担当者の気分次第であーなったり、こーなったり、してしまうと内部でも頭を抱えるのに、外部からすれば、更なる悩みにもなり得るか(苦笑)。改革は一人では出来ない、そろそろ諦めなさい、とSさんとKさんとIさんには言われた。はぁ…皆、自分勝手だよな。何でもかんでも「なんとかしてくれ」と言われても。

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