来年はNPOが相手でも戦う準備(笑)


 庄内NPOセンターが実質潰されて約5年。 形式的には自主的な撤退と解散だった。
 特に県庁・市役所の皆さんから大変心配いただいたが、これは言うなれば地域構造の問題だった。
 その後、地域を見てどうなっているか? 民間圧力を駆使して、庄内NPOセンターを潰そうとしたNPOは、その後、成長して地域に貢献しているのか?市民からどれだけの理解と協賛を得ているのか?どれだけの活動を展開しているのか?
 否、5年たっても同じである。というより会員も激減している。それで地域が良くなっているのか? それで、誰の満足があったのか? 誰の面子が守られたのか?どこのどういう秩序が維持されたのか?
 「公益?うそつけ。どこみて言ってるんだ。いったい何やってるんだ。」と、誰かが言っていた(爆)
 自分の言うことを聞かないNPOは潰してやる?
 NPOが何をなしうるか?何をやるか?ではなく、誰がNPOの代表か?誰がNPOのリーダー的存在であるべきか?だけに固執した結果である。(もとい、そういう価値感の中ではとても重要で真面目な議論ではあろう)。そういう地域秩序が働いた。
 それで、おおよそプロジェクトが組めるはずが無い。
 そのセオリーを砕かない限り、構造的にもっと何かの後ろ盾を得てやらない限り、鶴岡では何をやっても同じなのだろうか。そう考えると可能性が無いように思えてきた。それがここ数年。


 それは、場合によっては地域的なタブーかも知れない。
 私もそこまで行くと引き下がると思うが、何と言うか・・・、何か地域的な課題を解決しようとしたときに、行き当たる壁というのは、その地域の「タブー」であり、どんな大きい組織でも、行政でも地域組織でも、触れるのを回避せざるを得ないことを認識し、結果、形式的になんらかの施策は施すが、それで問題が解決できないことは、何となくながらも、そもそも理解しており、紆余曲折を招き、もしくは「あーでもない、こーでもない」を繰り返す要因なのかなとも思う事が少なからずあった。
 この地域からすれば、もしかするとタブーとは・・・、それら秩序も含めた地域構造なのだと思う。
 だから、それを守るためなら、仮に変化が地域を良くするとしても、それを壊してまでの変化は望まない、のがこの地域の総意なのかも知れない。

 私のミッションは、地域・市民と一緒に、社会的に成果をあげること、いや別に市民に固執せずサークルだって企業だって財団だって行政だって関係ない、何かこの地域を地域を盛り上げる可能性があれば、その土台となること、それは鶴岡アートフォーラムでも理想として持ち続けた。
 ただ、アートフォーラムには、別の方針があり、私と周囲の出番は殆ど無かったし、であれば余計なお世話であったろうなと思う。
 
 ま、ともかく来年は、より責任ある立場。 どんなに偉い人が相手でも、結果的に政治判断はあるとしても、間違ってることや筋が通ってないことと思ったら、やはり面と向かって一度はそれを主張していかなければならないとも考えるし、その前に、もっと周りに相談していこうと思う。 それが周りを守ることにもなってくるのだから。

 来年は、腰を据えて、色々と再起動をかけることになると思う。 それが周囲の期待でもあるようだし。

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