NPOへの関わりは、私としては、


NPOへの関わりは、私としては、最近流行の「自己責任」という事で位置付けている。なので、自分が置かれた状況で、周りをとやかく言うには及ばない。自分が好きでやってるんだから。ただし一方的な期待に応えるという点での責任も取れない(笑)
とりあえず庄内NPOセンターに関わる人は、ほとんど楽しんでいるし、もしくは意義ある事だと感じてくれているようだ。センター的には、それでよし。
最近は、自虐的とも言える発言をしているせいもあって、「NPOが嫌いなんですか?」「今の仕事は辞めたいんですか?」と聞かれるが、答えは「確かに嫌いなNPOもあるし、関わりたくない人も居るし、そういった中で、やりたくない事業もある。」という事だ(苦笑)。別にNPO自体嫌いにもなってないし、本来的な意義は重要に思うし、可能性も十分見出している。あとは、やっぱり時間が必要だと。
最近少し考えを変えた。ここ1年間くらい「理事会で決めて、仕事を押し付けておいて、給料が払えない、身分は保証できない、なんて堂々と言うのはオカシイぞ。払いようはあるのに何故払わない?」と思ってたが、「NPOだから」というのが、やはり仕方ないようにも思えて来た。というか、やはりそれが今のところ一般的なのだ。周囲の誤解ではなく、今のところの事実としては、そう見て判断される。
阿部理事いわく「ちゃんと給料がもらえると、人はそれ以上がんばらなくなる。まして対価を求めるなんて、石塚もそれだから甘い。」という、やや激しい?理屈もあるらしい。…なるほど(苦笑)
だから解った、別にわざわざ給料を貰わなくていい。ボランティアだから(笑)。
ただ説得力が無いのは、「払う」と言って「払わない」と言った場合で、それはちょっとその後も考えて難しい部分が出て来るだろう。払うほうからすれば、単なるお金の問題だが、払われる方からすれば、単純にお金の問題じゃないと言ってるんだけど(苦笑)
関わる人間が求めるのは、本当にお金じゃなくて、最低限、そういった明確さの部分であり、信頼関係なんじゃないのかな、と愚考しますです。だから過去、別に「大変だから離れた」訳でもないし、「逃げた」と非難される覚えは無い。大変さは今のほうが数段上なのは解って頂けるだろうから。
つまり、そういった部分が、耐えられない課題であり、「大した事では無い」との程度に、私には軽くは見れない事だった。とでもいうのかな。
ただ「NPOだから仕方無い」と思えない人には、たぶん通用しないので、気を付けなければならないだろうとは思ってほしい。
そもそも、NPOセンターを午前中閉めた理由もそこだ。切り離して、稼ぐところは稼ぐ。そのくらい、今は無理せず、やれる範囲でやれればいい。
イーコムとグラウンドワークを抜ける理由もその辺にある。こうあるべき、こうありたい、というのは目標として、今は近づく努力をしよう。
そうだ、午前中はコンビニのアルバイト店員、午後はNPOセンターのセンター長、夜は○○○○、土日は市民農園の管理人、またある時はウェブデザイナー、ある時はインターネットのサーバー管理者、果たしてその実態は?今や普通のフリーター、なんてのはどうか。嗚呼なんて多彩な人生。
今日は例えば、現在既に22日は午前2時過ぎ、私はまだ事務所で作業している。その理由の1つは、実はこの時点で、明日の朝に市民学習農園でだだちゃ豆の苗を配布するのだが、絶対的に数が足りないらしい。JAの方々にも無理をさせてしまっているが、逆を言うと余りの人気で関係者が驚いているくらいで。それも含めて事業全体の調整だ。本来的にグラウンドワーク庄内という組織が行う。私はそこの組織の事務局長だから、事務責任者で、もう5時間半後、朝7時からは農園に出て準備もしないといけない。
しかし、事務局長だからって言うだけでは給料はないし、この事業についても私には1円の利益も発生しない。それどころかマイナスの事業費部分について、どう補填するか少し悩んでいるくらいだ。
担当理事いわく、初年度は先行投資だから人件費も無しで赤字なのは仕方無いらしいので、…まぁ仕方無いらしい。担当理事が半ば責任を放棄するのも、農園だけに迷惑の種やら悩みの種を撒いてくれるのも、まぁNPOだから仕方無い(笑)。それでも他は楽しんでやってるんだから、これはこれでいいのかも知れない。
でもやりようによっては儲かる(収益が上がる)と思うが、それは先の阿部さんの理屈に基づき、理事会が許さないらしい(爆)
がんばれば、がんばるだけ、苦しくなる「NPO・ボランティア疲弊の法則」。仕事をすればするほど、個人の持ち出しも多くなる。責任感が強いほどに、長く関われないとも感じる様になる。なので生活まで犠牲に出来なければ、普通は片手間でやるしかない。でもそれが当たり前であり、私も含めて、それ以上にやろうとするのが、やるべきだと嗾ける方が変なのだ。
今求められているNPOの意義とは、やはり「お金は無くてもやる」事であって、そういうわけで、未だ生活を賭けるまでのものには、私は値しないと思うので(苦笑)、ギリギリがんばるが、心中するつもりは全くない。
ま、一般的に楽しんでやるのが正解なんだろう。その中で、片手間でも協力してくれる人の何と貴重な事か。名誉と思ってくれるなんて素晴らしい。
現在の社会システムでは、福祉分野以外の専従職員は、なかなか本業とはいかないだろう。というか社会的に本業とすることが望まれていない、認められ難いんだと思う。
ま、NPOの使命を全うするには、職員1~2人くらいの社会的な犠牲は必要だし、それも実は大した事はない、という理屈も、見ている方からはあるらしい。
そう、逆に見ていると凄い面白いと皆が言う。そういった意味では、こんな日記も見ていて楽しんでもらえればそれでいい。
ただ困難に思う事があるとすれば、人の裏表に振り回される事だろうか。指示する事、言う事、やる事、一変する。これが、な~かなか難しい。だから「思い」と「思い付き」とは紙一重かな、と苦笑する事もある。冷静に見て、実は一番筋を通しているのは私なのかも知れない。誰と対面しても、お酒を飲んでも、私はそんなに短期間のうちに、言う事や態度は変わらないので(笑)。もしくは昨日と違うのは「成長した」とか言ってしまえばいいのかも知れないが。
また組織的に動かないという点も少しつらい。理事の中で、理事会の議決も軽視されやすく、関係者一人一人がそれぞれの思いに基づいて、それぞれの事業を展開しようとすると、内部でさえ連携どころの話ではなくなる。でも組織なんだなぁとは思ってる。
などなど、とりとめも無いが、生活費に支障を来たすまで関わるなんて、無理しないでください。
後に続く人間がひいてしまいますし。
熱意や使命感、知識も行動力も人一倍備えている人から見れば、現状は憂いの至りでしょうが、こればかりは1人で焦っても仕方無い事です。急に作ったものは、すぐ壊れるし、合意を軽視するものは、混乱を長引かせる。共感を得るにも時間が掛かると思うし、より多くと握手をするには、ここは地道に真っ当にやるしかないと思う。
私も家庭人なので、生活があるので、現在のNPOがこの様に位置づけられているからには、私なりの思いも今は抑えて、余り深入りしないように気をつけねばなりません(苦笑)。

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