2003年6月5日(木) 黒文才紅太郎


確かにNPOの事務局は報われないことが多い。内部調整に時間を要し、一歩踏み出すまで苦労するケースも少なくはない。そして振り返ってみれば日数だけが過ぎてリミットだけが迫ってくる。結果、慌てた余り粗悪な成果品が作られて、、。なんて事は悪夢以外のなんでもないことであって欲しいが、この危険にいつも晒されていると言っても過言ではないのが1現場スタッフの感想だ。
果たして本当に「NPOは皆で考え、皆で決める」のが正しい方法なのか?研修し、尊敬すべきNPO実践者から教えられてNPOの定義をぶれる事無く信じて現場に取り入れてきている(つもり)訳だが、どうも徒労に終わる場面が多い。
「協働や対等」についても、これを実践するのは困難に感じる。行政やNPOと接する中で、NPOでいうところの「協働」「対等」をこれまで実感出来たためしは無い。双方の間で当然の如く上下が発生し、対等を意識していても双方の認識のずれから仕事がし辛くなることもままある。むしろ上意下達でルーチンワークをこなしている方が余計な調整や心労が省ける分だけはるかに気は楽だし、作業も効率的だ。
ついついサラリーマン時代が懐かしくなってしまう事もしばしばあるが、単に修行が足りない、と言われればきっとそうなのだろう。しかし自身が関って作ってきた会なら若干の苦労も耐えられるが、成り行きで雇用された1事務局スタッフにとっては苦痛以外のなんでもない事態になるのもこれからは珍しいことではなくなるはずだ。
「対等・協働・NPO的合意形成」。これらを日常的に円滑に取り入れて実践しているNPOは果たして存在するものだろうか、、。

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