心身の疲労が蓄積した為か、皮膚が非常に弱くなってしまった。以前は何でも無かったのに、時計や指輪をすると、半日で発疹がでて、治すのに3日以上掛かる。またよく金縛りに遭う様になった。夜中に目が覚めると、全身が攣っており、意識は正確で冷静なのだが、とてつもなく呼吸が辛く、声も出せず、首から下の感覚が全く無いのだ。自由が利いて動かせる部分は目しかない。正直恐怖だ。
どうしようか悩む事が多い。あえて気を紛らわせようと、飲みたくも無いコーヒーを淹れてみたり、音楽を聴いてみたり、他愛も無いことで人に話しかけてみたり、水槽の魚を飼ってみたりと。
当然ながら、何かを実行する時、おそらく殆どの人は責任は取りたくないし、周囲の批判からは逃れたい。逆に出来る事なら外野席から、とやかく批評するだけの立場にいたほうが楽だ。
実際はNPOの、たとえ役員といえど同じで、自腹を切ってまで、責任を覚悟してまで関わろうとしている人は少ない。周囲からすると、関係者は全て身銭を切ってやっている様に見えるらしいが、意外と熱心で責任感があるのはごく一部だったりする。給料も貰ってないし、一般企業と違って責任は取らなくて良い役員だという錯覚、ボランティア感覚も手伝っているのだろうか。
日頃口では何とでも言えるだろうが、いざとなったときの対応を、いくつもの団体で見てきた。いったい何のための役員なのか、と思ったものだ。
ここ数年、ストレスに対する耐性は非常に増したと思うが、周囲から依り白の如く押し付けられるようなストレスは、質量共に増し続ける一方だ。
共通する無責任性。想いだけで、本来的にやれない事をやろうとし、率先して動きながらも、責任は周囲に押し付ける。後始末が出来ない、もしくは逃げる。もしくはそういった後始末が押し付けられる事が多い位置に居るのだろうか。役員は知らない振りをしたり逃げる事が出来ても、対外的に前面に立ち易い事務局は逃げられない。
山形の某NPO事務局長が、ついに辞任したらしい。…そんな状況にいつまでも我慢できるものではない。別個の組織を立ち上げて独立するらしい。
私などの低能はともかく、能力がある人にとっては、元から余り責任を取るつもりもない役員会の、朝令暮改で気紛れな指示に対して、内部調整に時間を費やし、対外的な体裁を整える事に労力を費やすばかりで、何かと実施する前に既に疲労困憊になる虚しさは、何とも言えないだろう。自己嫌悪にも繋がる。
最近思うのは、やはりリスクを背負わないと詰まらないし、やる気も起きないという事だ。たいていは皆、リスクを誰かに被って貰って、その下で行動する分には構わないという。加えて自分がやった事でも責任は取らないという条件でなければ動かない。
一方的で傲慢な見方だろうし、別にこちらが常に見返りを求めているのでは無いにしても、非常に孤独を感じるのは、相手から、「貴方が私たちを手伝うのはやや当然、でも私たちは貴方に手伝う義務は無い」と突き放されるような時だ。日頃要求される事は多いが、こちらの要求には殆ど応じてもらえない。色々と理由はあるのだろうが。
ただ疲れ過ぎている最近、ふとした事から突き詰めて考えると、そういう人間は一体なんなのか、と思う事もある。攻撃的な感情を抱いてしまう。何故、そんな人間達と関わらなければならないのか、そういう相手の頼みを聞いてしまうのか。
理性を欠いた感情というか、想いだけの人達は基本的に理屈よりも想い付きなので、ルールを作ったとしても一時の気紛れに負ける。まぁ関わらなければ良いだけなのだが。
まぁいずれにせよ、自分の周囲の環境は、因果応報で、自分自身に原因があるという事を自覚しながら、もう少し考えて行きたいと思う。色々な考えや思惑が交錯し、頭の中が支離滅裂で、ちょっと消化不良だが。
心身の疲労が蓄積した為か、
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2003年11月10日
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