でたらめのカリスマ性


 でたらめ、無責任な人ならではのカリスマ性というのが何かあると思う。もしくはそれが強烈な個性として認知され、評価の対象になるのか。
 会社経営でもNPO運営の中でも、それが当然のように無計画、日時を守らない、お金を返さない、契約や合意を軽視または無視する、双方に嘘をついて混乱させるなど。最初から人間関係の継続や社会的信用を度外視している(ような)人が少なからずいる(※ただし、一般社会的な見方はともかく、ここでは否定的に考えていない見方をしてみる)。
 もちろん、普通に考えると「やばい」し、まして自分が当事者にあたれば「許せん!」相手なのだが、一見そういう人ほど、実は意外に多くの人を惹きつけて止まない場合が多い。時に、壁を壊したり、障害を乗り越える原動力ともなり得る。フォローではないが、確かに逆に言えば、臨機応変・合理的・目的達成至上主義とでもいうべきものなのかも知れない。
 酒の席ではあったが「人間、いくら借金しても、踏み倒しても死なねぇ~んだよ、これは凄い事なんだ!」と言った人がいる。
 時代の空気なのか、何か、そういう人の活躍を期待する時代・タイミングなのだろうか。とりあえず、普通の人の感覚では出来ない、普通の人と違う、けっこう滅茶苦茶、イコール「すごい」という事からか、それとも、目的のために手段を選ばないというような姿勢や手法に対する興味なのか。私などは「おいおい…」と思っても、学生では憧れの対象とする人もいる。ヒロイズム?大学時代に聞いたストックホルム・シンドローム…とは違うか(爆)
 ただ、そういう人の周りでは、実際問題、1~2年、せいぜい3年で人は疲れ果ててしまい、離れていってしまう。一部の自己満足以外、何らかの蓄積も殆どの場合は残せないのも確か。それでも、世の中、代わりの人というのは次々にいる。なので、人を消耗するだけの、ノウハウを余り必要としない継続活動の中心人物としては適している。とりあえず、人が集まり労力があれば、出来るものを継続できる。
 面倒見が良く心身ともに資金的にも体力がある人がグループを作り、フォローする機能を果たせれば、組織的に問題は余り表面化しないで済むし、作文や報告書の中だけの実績ではなく、本当の成果・実績もあげることが出来る。…などと、システム的に考えても無理か。
 人として相性の問題もあるが、余りにも周りの人間が長続きしていないというのは、人を見るときに1つの指標になるような気はする。チームで動くとき、仲間作りは非常に重要である。どういう企画を立てるかより、どういうメンバーで望むか、というのが先に立つ場合もある。なんだっけなぁ、結局は、人は人のために考え、動くのであって、思想信条や理念のもとに動くのではない、という言葉は。
 あくまで個人的な雑感だが。
 

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